今期の役員と委員会構成

メンバーからの一言

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チャーターナイト25周年記念を記念して編纂した「桜獅子」より抜粋して掲載してゆきます。

第18回


日本の物作りを憂う
L新條勝藏
 私が桜門を卒業して早四半世紀が過ぎた。私自身が生業としてきたのは、この間ずっと電気・電子関係の技術畑である。特に自動車関連機器の製造装置の自動制御回路が大きなウエイトを占めていた。

 今から二十年ほど前というと、ちょうどバブルの真っ盛りである。そんな中で自動車関連の仕事をしていたのだから忙しいことこの上なかった。また、このころから日本メーカーの海外工場への移転が相次ぎ、それに引きずられるように私も海外出張が増えていった。このころは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと海外から言われ、私自身もそう感じていた。

 しかしながら、海外に進出していった企業では、現地での小さなトラブルには暇が無かった。そもそも生活習慣が違い、政治的背景も異なることを理解せずに仕事をしようというのだから、自ずと無理がある。戦後半世紀以上経ったとはいえ、いくつかの国では半日教育を未だに続けている。ある国の代表的な自動車メーカーで、新規導入した機械の教育をしていたときのことである。休み時問にコーヒーを何本か買い、現地の作業員にも配ったところ、「日本人から貰ったコーヒーは飲めない」と突き返す者がいた。こんなことは日本にいては経験どころか、想像すら出来ないであろう。

 しかし、工場がさらに南の国へ移転していくと、その驚きはさらなるものへと膨らんでいく。(もっともそのころには、こちらの心構えも出来てきていたのであるが。)

 東南アジアでも、タイ、マレーシア辺りになるとインフラの問題が大きくなってくる。日本では停電したのはいつが最後だったか、思い出せないくらい現在の電力事情は安定している。だから、我々日本の電気設計者は設計概念に停電対策を疎かにしてしまう。

 しかし、これらの国では停電は頻繁に起こる。雨が降れば停電。雷が鳴れば停電。カラスが泣けば停電(?)ぐらいに起こる。そのため、NCデータは消え、プログラムは書き代わり、CPUは暴走する。

 これらの事象は日本国内ではまったく現れない。だから電気機器メーカーに問い合わせても担当者は首を傾げるばかり。

 ある時は、機械が停止し、現地のメンテナンス担当者ではお手上げだ、何とかして欲しいとSOSが来た。七時間のフライトで現地に着いたのは夜中の二時。そこから工場に直行し、機械を調べる。なんと、一つの装置のヒューズが切れていた。

 また、ある時は同様のSOSの依頼で現地に飛んだ。制御盤を開けてみると妙にさっぱりしている。しばらく眺めてみてから気がついた。ネズミ色した何かが落ちている。拾ってみてよく見ると甘納豆みたいな形をしている。これって、もしかしてネズミの糞?

 それで解った。さっぱりしているのは細めの柔らかい電線がきれいに食べられていたためであった。制御盤には、設置のときに電源供給用の穴が両側に開いている。使用しない穴を塞がなかったため、そこからネズミが入ったらしい。あとで聞いたところによると、この工場の辺りはつい最近まで椰子畑であったそうだ。そこには猫ぐらいの大きさのネズミが住んでいるそうである。だから、今回の犯人のネズミは子ネズミだろうとのこと。これまた、日本ではあり得ない修理内容である。

 以上の事柄は事実であるが、彼らの名誉のために付け加えれば、たとえば台湾などの技術レベルは現在では相当に上がり、特に町工場レベルでは完全に日本のそれを越えていると思われる。南の国でもインフラは確実に整備されつつあり、安定した稼働が出来ている。例に上げなかった中国も相当の問題はあるものの、技術の進歩はめざましい。

 そんな中、我が日本の現状を考えてみると、いささか情けない。

 先日の回転ドアの事故などはどう考えても設計者、製造メーカーの怠慢である。死亡事故が発生するまで、すでに三十件以上の事故があったと聞く。対策には光センサーを使っており、ニュースによるとこの感度が何センチ以上だか、以下だかでそれを問題にしていた。しかし、こんなことは我々自動制御機器を扱うものからすればとんでもない話である。プレス機器などはかなり厳しい法的検査基準があり、これに合格しないと稼働出来ない。今回の回転ドアはそれと鑑みて法的な整備の遅れを報道していたが、問題はそうではない。第一にその装置、機器の危険性は設計者が一番理解しているはずだ。ましてや、あれほどの機構の設計者である者が、挟まれたときの対策を考えつかないとは思えない。にもかかわらず、その対策を怠ったのは法的にクリアしているとかの話ではなく、設計者、企業のモラルの問題である。

 あるトラックメーカーの脱輪事故においては、さらに悲惨である。彼らは機械を常日頃扱っているエキスパートである。そんな彼らが起こした今回の不祥事は、どんな理由があろうとも言い逃れできるものではない。

 私は今まで海外でいろいろな国の機械を見てきた。その経験から日本の機械の優秀さは設計者の思いやりや気配りだと思っている。これは言い換えれば、技術者のプライドであり、もてる技術の余裕であると思っている。このことがある限り私は日本の技術が世界一の座を譲ることはないと信じてきたが、いささか自信がぐらついてきた。

 今回の不祥事については技術者ばかりを責められないのも時代の趨勢である。そんなときこそ、会社のトップは今一度、自社の社会的責任、社会的貢献の見直しをはかるべきであると考えるのは、私だけであろうか。